2012年12月アーカイブ

国際法から検証

国際法から検証

竹島(独島)という領土問題の対立点および判断する道筋と、「実行支配」
領土問題での係争地を解決する道筋と、両国の「実効的支配」について考えてみよう

領域取得の諸権原には、先占、時効、併合、割譲、征服、添付がある

決定的期日・クリティカル・デイト(critical date)について

国際司法裁判所の判例
├ 竹島問題に関して適用されるべき国際法の原則を確認しよう
領域問題で裁判的解決手段で終局判決が示された実例
領土の取得と領土紛争に関して適用される原則の一覧

├ イギリスとフランス間のマンキュ・エクレオ事件 1953年
紛争になる以前からの実効的占有の有無が判断基準になった判例
├ マンキエ・エクレオ諸島事件
『国際司法裁判所 判決と意見 第一巻(1948--63年)』 国際書院から、

├ 竹島(独島)と同様に、無人島の領有権についての判例 2002年12月17日
マレーシア・インドネシア間の所有権争い Ligitan and Sipadan島の判例

├ 証拠としての地図の価値と、地理的近接性についての判例
「地図に載ってるから我が国の領土である」と言う主張はOUT
パルマス島の仲裁裁判判決
竹島に近いことが根拠になるか?

├ その他、関連する判例
パルマス島事件 1928年/東グリーンランド事件 1933年/クリッパートン島事件 1931年
├ クリッパートン島事件 (1931年)
├ パルマス島事件 (1928年)
├ 東部グリーンランド事件 (1933年)
├ エリトリア/イエメン仲裁裁定 (1998年/ 1999年)
├ 北海大陸棚事件 (1969年)
├ カタールとバーレーン間の海洋境界画定および領土問題 (本案 2001年)
韓国の法学者たちは、この判決に落胆したそうです


├ 韓国側の視点では、判例を如何に考えているか?(参考リンク)
http://www.idokdo.or.kr/jpn/html/importance_similarity.html
├ 論文 - "実効的占領概念と独島領有権問題"
朴基甲*高麗大学校法科大学副教授

国際社会は、既成事実による紛争解決を断固拒否している
武力で、竹島(独島)問題を解決するという事は「下の下」
「時効取得」の原則に基づいて判決の下りた国際判例は無い。。。らしい(人民日報)
私たちに出来ること
「独島は日本の領土」 日本政府が口上書を毎年発送(朝鮮日報)
├ 日本政府の抗議行動は、ペーパー・プロテストになっていないか?
ペーパープロテストと呼ばれないようにするには、どう活動すればいいのだろう?

├ 独島本部、国際法の「黙認」に関する学術シンポジウムを開催 2006/03/17
「日韓の間には領土問題は存在しない」と、韓国が言い張りつづける姿勢は、
「黙認」ということになり、韓国側には不利になるそうです。それを心配した会議が開かれました。


日韓両国は、名誉ある国際社会の一員として、「平和的手段による解決」の義務がある
国連憲章の前文を読め!国連憲章を無視し続ける韓国は、国連にいる資格は無い
├ 国際司法裁判所への提訴について
国際司法裁判所に判決ではなく、勧告的意見を求めるのも一つの選択肢だろう
司法解決を避ける弁解に、国内事情は理由にならない

日本が韓国に国際司法裁判所へ行こうと提議したのは2回ある
日本は、1954年と1962年の2回、

├ 日本の国際司法裁判所付託提案と韓国側の拒否の覚書 1954年
韓国の激しい反発。国際司法裁判所へ付託することは非理なのか?


独島をめぐる国際裁判での勝訴は不透明 中央日報 2005/04/10
当事国が領有権の凍結、共同開発、共同主権の行使などで合意することもある。
├ 竹島(独島)、問題国際法の上では韓国が有利?
スタンフォード大学のサイトで、東アジア事情(SJEAA)に納められている卒業論文への書評

韓国が国際海洋法裁判所への強制的な紛争付託を拒否する宣言をしたことの功罪
2006年4月

2004年11月01日開設

併合の経緯

[Top][日朝の接触][日清・日露戦争と朝鮮][併合の経緯]
[朝鮮の民族運動力][総督府時代の統治][鉱工業編][農林漁業編]

併合の経緯と国際情勢

併合の経緯と国際情勢

├ 第一次~第三次日韓協約迄の出来事(1903~10年)

├ 韓国の戦時局外中立の宣言と、その欺瞞について (1904年1月21日)
高宗の局外中立を教訓に、独立と防衛を考える

├ ポーツマス条約 明治38年(1905)11月25日「ワシントン」

├ 日韓間の各議定書の内容と、度重なる密使の扱いについて
日韓議定書、第一次~二次日韓協約(乙巳保護条約)まで (1904~5年)
第一次日韓協約と高宗の密使派遣について (1904年)
ハーグ密使事件と第三次日韓協約(1907年6月)

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日韓併合に対しての、併合無効・不成立論についての検討
李泰鎭教授らの不成立論について見てみよう

├ 第二次日韓協約・乙巳条約を締結するまでの過程を見よう
協約締結のきっかけは、高宗の密使派遣外交と、度重なる発覚にある
朝鮮の直接統治は、財政難などから、本来はしたくなかった日本
協約案が出来て修正され締結するまでの過程

├ 脅迫した故に、この協約は無効と言えるのか?
「脅迫による調印」を国際法上ではどのように見ているか?
日本憲兵・警察による宮中の警備は脅迫にあたるか?
協約の調印について、韓国側の大臣は強制されたと思ったのか?
韓圭咼参政に対する個人的脅迫について

├ 条約の批准の手続きがないこと、署名捺印・無効宣言、これらをどのように考えるか?
高宗が、「協約調印を承認しなかった」と、唱えたことについて検討しよう
第二次日韓協約」正本に皇帝の署名捺印がない?

├ 押しつけた併合条約は無効か?
    大韓帝国憲法 第9条を見よ
韓国の不合法論について思う 
併合条約=合法ならば文句はないと言う事か?

├ 伊藤博文は日韓併合には終始反対していた
韓国を滅ぼすものは、他国ではなく、韓国自身だった=伊藤の訓示(1907年5月)
・ 国家の尊厳を思わないで、ロシアに依存した事が、朝鮮の亡国の第一の原因であった
・朝鮮が、日本との条約を無視し、国際法を無視して行動した事が、亡国の第二の原因だった

├ 韓国併合に関する条約 (1910年)
付・併合を伝える報知新聞の画像
├ 韓国併合時の純宗皇帝の勅諭 1910年8月29日
朝鮮実録の文。大寒帝国皇帝の「純宗」は、自ら併合を望んだことが解ります。

韓国併合と高宗の責任

├ 日韓併合についてのコメント
西洋列強の併合も見ておこう ベトナム ビルマ ハワイ
日本は、イギリスによるスコットランド併合を参考にした
列強国の全てが日韓併合を強く望んだ
軍事的視点から見た併合理由-併合は自衛権の発動か?
WW2以降の国際的軍事紛争(自衛権の発動と称した事例)

├ 日韓基本条約・第二条「すでに無効」(already null and void)という文言が成り立つまで
日本と韓国では「もはや無効」の解釈が違うが、解釈の相違を認め合うことで決着した!


├ 英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 産経新聞2001.11.27
韓国の目論見が失敗に終わる/ その結末
├ 李泰鎮(イテジン)ソウル大学教授が企画する再度のシンポジウム 2005/01/30-02/01

├ 李泰鎮・ソウル大学教授の背後には北朝鮮? 2005/11/12の記事
第2次日韓協約(乙巳条約)の交渉会議で、伊藤博文・長谷川好道司令官らによる、「強制」があった?

├ 乙巳條約 高宗 「反対」 を「同意」に修正 2005/11/14の記事
高宗が「反対」したのに、伊藤博文が「同意」に修正した文書が発見されたらしい

└ 高宗の「乙巳條約 無効」 国書ある/ 「乙巳條約 無効宣言」文書公開
京郷新聞2005年2月28日付ニュース

├ 日韓併合を日本だけの責任に転嫁する韓国教科書の心情

├ 韓日合邦の魚「網も張る前に魚が飛び込んできた」中央日報記事
親日派としてレッテルを貼られた李完用を見直すべきではないのか
徐載弼(ソ・ジェピル)の「独立新聞」には、李完用への批判が1行たりともない。
少数の憲兵で、本当に武断統治が可能か?
僅か2019名(その内、日本人は1007名)だけの「憲兵警察」
朝鮮半島における1910年末の警察官数

├ 李完用について
李完用と儒教意識の本質
李完用、最後の言葉1926年


伊藤博文暗殺・安重根のテロ

統監府文書 7 >
一. 安重根關聯一件書類 哈爾賓事件書類 一・六 (12728・12735?12739)

├ 安重根の犯行理由と、それについてのコメント
├ ドーハム・スティーブンス
朝鮮人刺客によって射殺された

├ 純宗實録の記録・伊藤博文暗殺後の韓国政府の狼狽~日韓併合まで

├ テロの定義
├ 伊藤博文暗殺事件への疑問
食い違う証言 二重狙撃説

├ 安重根の書いた書 いろいろ


東京裁判のエピローグ

WW2について 東京裁判 南京虐殺 独立と分断
戦後処理 慰安婦問題 ドイツを見習え論 靖国神社問題

東京裁判について考える

├ 硫黄島
├ 玉音放送後の新聞の見出しと、敗戦後の殉死者の内容
├ 原爆ドームとアウシュビッツの施設が、ともに世界遺産に指定された意味


東京裁判

├ 日本の無条件降伏の意味
ポツダム宣言での無条件降伏とは日本軍隊だけの無条件降伏
天皇を断罪しなかった理由

├ ニュルンベルクで開かれたドイツの裁判の意味と、東京裁判の違い
  犯罪団体を裁いたニュルンベルク裁判と、国家を裁いた東京裁判

├ 日本は、東京裁判の全てを受け入れたのではない、「判決」を受け入れたのだ
日本語で「裁判」と訳されている箇所は誤訳、英語では「Judgments」

├ A級戦犯はもはや罪人ではありません。
├ A級戦犯の重光葵
国連加盟式典に参加したA級戦犯
サンフランシスコ平和条約 第11条(戦争犯罪)
TREATY OF PEACE WITH JAPAN 英語版 日本語版

├ 天皇免責の論理1,2とマッカーサー電報

日本の戦争を自衛戦争と証言したマッカーサー
東京裁判の判決は間違いだったと証言したのと同じです
東京裁判では、日本の領土拡張について、一言も侵略と言う言葉は使われておらず、すべて進出(advance)

├ 東京裁判の合法性を考えるために
東京裁判は、マッカーサー元帥の命令に基づく裁判である。
戦争での指導者の刑事責任は問えるか?
東京裁判の合法性を、裁判長自身が否定した


├ 事後法による処刑。これは近代法最大のタブー
罪刑法定主義と事後法の禁止
フランスの人権宣言と日本国憲法を見てみよう

├ 国際社会に事後法の原則を適用する事に反対する説
   第一次世界大戦後のカイゼル裁判
従来の戦争犯罪とは、戦争法規に個人的に違反した個人の行為であり、
国家の条約違反、道徳違反に対する個人の刑事責任を問うという
「戦争犯罪」の考え方は確立していなかった

├ ニュルンベルク裁判での「人道の罪」を東京裁判に当てはめた無理
「人道の罪」とは、ホロコースト用、ジェノサイド用
「人道の罪」のために、でっちあげた南京大虐殺

BC級戦犯

├ 日本史で捕虜となることを恥辱と考えるのは異常な事だった
├ 日本は、「捕虜を虐待する悪い奴」という印象ができた理由
├ BC級戦犯、精神的負担と意思疎通の難しさ
「捕虜に木の根を食わせ」虐待した?

侵略戦争について
├ 「侵略戦争」とその他の戦争の区別は明確になったのか?
戦争を禁止したケロッグ・ブリアン条約 (1927-8年) 日本憲法の第9条の原本
「侵略戦争」の定義が無いままの裁き ニュルンベルク裁判と東京裁判

├ 満州について、国際連盟では日本の「侵略」と認定されていない(1931~)
戦間期(第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期)に、
「侵略」呼ばわりされたのは、イタリアとソ連であり、日本は「侵略」だと言われていない。

├ 731部隊について

南京虐殺について

「南京大虐殺」という呼称は朝日新聞1946年5月10日付記事など戦後すぐから見られるようになり、国会では1971年(昭和46年)7月23日の第66回参議院外務委員会で西村関一により使用された。また「南京虐殺」という表記も一般に使用される場合がある。

日中戦争(当時は支那事変と呼んだ)初期の1937年(昭和12年)に日本軍が中華民国の首都 南京市を占領した際、約2ヶ月にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵、便衣兵及び一般市民を不法に虐殺したとされる事件である。

小学校の教科書では、「日本軍は中国各地を侵略し、多くの生命を奪うなど、中国の人々に大きな被害と苦しみをあたえました」(大阪書籍)の様な内容で「南京大虐殺」を全5社が記述している。

古代の日朝関係

[Top] 日本人の来由 稲作のルーツ 騎馬民族征服説 「日本」国になるまで
古代の日朝関係 倭の五王 広開土王碑 白村江(660年以降) 韓国の修正要求

古代の日朝関係について

├ 「三國志」魏書に見る朝鮮・満州と「倭」の関係
『魏志東夷伝』の序文を読み、倭と他地域との関連や、邪馬台国について見ておきます。
├ 紀元前後の新羅と関係した「倭人」の記録
『三国史記』新羅本紀から、新羅の建国に関与した倭人の記録から「倭」を考えてみる

├ 韓国にある前方後円墳について
韓国側の記事です。ちょっと興味深かったので、まとめてみました

├ 中国王朝・朝鮮 3世紀~6世紀末の流れ・概略
└ 唐王室の来歴

├ 日本の鉄の源流

├ 倭と伽揶の関係・状況 / 日本にとって「カラ」は、大いなる意味を持っている
列島の人にとって金官国は、半島への窓口でもあり、身近で大切な異国の意味があった
「カラ」は、加耶・加羅→金官国→韓→唐→外国の意味へと広がりを持つようになった

├ 倭と新羅の関係(主に4―5世紀)
『三国史記』の倭関係記事 /
倭の新羅侵攻 / 新羅の人質外交 / 倭の実体

├ 百済と倭国のつきあい 4~6世紀
日本は百済・伽揶に依頼されて半島に派兵した百済への倭国からの軍事援助
先進文物の見返りとしての派兵 四世紀 / 七支刀・広開土王碑・仏教の伝来

├ 七支刀について
├ 倭が中国から受けた大将軍のリスト
『宋書』(倭国伝)の安東大将軍、「梁書」・「南史」・「南齊書」の鎭東大將軍

└ 倭の「小帝国」意識の芽生えと「質」の意味
百済から送られた「質」の例 397年 / 新羅から送られた「質」 400年頃
倭国と高句麗は、「入質」はあったが、他国に質を出すという事はなかった
『宋書』(倭国伝) 安東大将軍/ 「梁書」・「南史」鎮東大将軍 / 「南齊書」安東大將軍

└ 百済と新羅の「任那の調」/伽揶地域を巡る争奪と、人質・豊璋について

5世紀のこと
├ 渡来人が、列島への来住をした時期や経緯を見てみよう
三度にわたり列島へ渡来してきた理由
第一波(5世紀前半) 応神朝の渡来人の記録について / 王仁の「千字文」の記録について
第二波(5世紀後半) 雄略朝前後の渡来人について

論語と千字文について(『千字文』が成立するのは六世紀)
王仁と阿直岐
├ 五経博士の来日について

├ 日本書紀について
日本書紀の立場 / 日本書紀が引用した国内資料
日本書紀に関わったと思われるメンバー
日本書紀に引用されたと思われる朝鮮・中国の資料
├ 戦前の日本にあった「南鮮経営」説の根拠
追加で、韓国側の「南鮮経営説」批判を含み
├ 韓国側の「南鮮経営説」批判
├ 中国外交部、「任那日本府説」も紹介 朝鮮日報 2004/07/22

├ 日本書紀の存在に疑念を抱く韓国人の投稿
Enjoy japanで、韓国人が日本書紀を偽書だとおもったり疑念を持つ投稿への反論。


├ 新羅王。金春秋(後の武烈王)について 603年~
春秋と文明夫人の結婚(620年)。そして生まれた王が文武王
金春秋の高句麗外交(642年)
金春秋が倭国へ渡った理由(647年)/ 倭国は春秋を人質として認識していた
何故、金春秋は長い間、即位しなかったのか?/ 春秋は新羅王となる(654年)
唐との交渉 (648年)



2005年02月22日より

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