竹島編入の経緯

日本の「竹島」編入の2年前、「日露協商」(朝鮮や「満州」の権益について日露両国が勝手に交渉するという、実になめくさった話)が決裂し、ロシアとの緊張が高まっていったのですが、ロシアと決戦するには朝鮮半島を兵站基地として利用する意外に道はありませんでした。
しかし「大韓帝国」政府は局外中立を貫く意向であり、特使をヨーロッパに派遣して各国に中立声明を承認させていたのですが、これは日本にとって絶対に認められないことでした。1904年2月の日露開戦と同時に、中立を主張していた李容翊を拉致するなどして強引に「日韓議定書」を調印させました。これの第四条は次のような内容です。

「第三国の侵害により若くは内乱の為め、大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合は、大日本政府は速やかに臨機応変の措置を取るべし。而して大韓国政府は右大日本帝国政府の行動を容易ならしむ為め十分便宜を与うること。
大日本政府は前項の目的を達する為め、軍略上必要の地点を臨機収用することを得ること」
(「韓国併合」P-233巻末付録より)

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このページは、rekichiが2014年12月20日 19:08に書いたブログ記事です。

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